講演終盤、「泣きじゃくりながら怒鳴る5秒後の自分」に気付いて、もう一人の自分が無理やり抑えつけた。
上映後、地元の人が、主催してくださったところに、「私にもこの街で一緒に防災やらせてください」って、泣きながら来たらしい。
丸一日が経った今でも、僕の頭はまだ整理が付いていない。
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こんばんは、
小川光一です。
陸前高田ドキュメンタリー
『あの街に桜が咲けば』
二年間に渡る上映の日々が
昨日の東京都多摩市上映にて
無事に終わりました。
今回の最終上映会を終えて、概算累計動員数は19,910名→20,100名となりました。2万超えることは目標でも何でもなかったので、到達したこと自体に意味はありませんが、純粋に2万人の方に映画を観てもらえたという事実は、インディーズ映画として非常に有り難いに過ぎることです。
また先日3月13日には47県目となる佐賀上映が開催されました。こちらも47県達成自体には意味はありませんが、1人でも各県に、映画の想いを伝播してくださる方が、いるか、いないか、これは大きな差だなと思います。こちらに関してもたくさんのご協力くださった方に感謝で一杯です。
そんな最中で迎えた多摩市上映。
まず、スタッフの皆さま、ご来場くださった皆さまに心から感謝いたします。
愛媛から9名とか。熊本や山口、青森、大阪などから最後の上映を観に駆け付けてくださった方々にもだいぶ痺れました。
あと、たぶん人生で一番大量に花束、菓子、色紙などを頂きました。帰りは友人に協力してもらって5人がかりでした。本当にありがとうございます。
なお、この色紙は多摩上映のスタッフの方が中心に、47枚の色紙に各県で主催やスタッフしてくださった方々のメッセージカードを集めるという凄いクオリティのものでした。ウルトラ嬉しい。
ただ、白紙の県もあります笑。こちらは追って僕がおつなぎしながら、色紙埋めを進めていけたらと思ってますので、ご協力お願いいたします。
そして、今回の上映に来た人来てない人に関係なく、昨夜から三桁を軽く超えるメッセージが届き続けているのが今です。
僕のSNS絶賛カオス状態。返せてない多数ですいませんが、これからゆっくり返していきたいと思います。
さて、昨日のイベントは、地元和太鼓サークル演奏、映画上映、監督講演、陸前高田アーティスト雪音ライブという構成でした。
まず、昨日の会場である多摩市永山は近くに聖蹟桜ヶ丘がある桜の街。そちらで和太鼓の演奏活動をされている「せいせき鼓桜」というグループの方々が冒頭で演奏をしてくださりました。この和太鼓の演奏が非常に素晴らしく、この時点から泣いてる人とかいました。
それに続いて、映画『あの街に桜が咲けば』の上映、監督である僕の講演。こちらは正直何を話したか、細かいところを全く覚えていません。原稿はなく、毎回決まっている簡単な流れの中でアドリブで話すのですが、その流れを逸したのか、ちゃんと守ったかさえ分からない。不思議な感覚です。
最後は、特別に陸前高田から来てくださった地元アーティスト「雪音」の特別ライブでした。この雪音は、桜ライン311メンバーの1人でもあり、僕の映画の中にもちょろちょろ出てきます。3曲目に桜ライン311公式テーマソングを歌ってくれたのですが、今回僕が作ったあのさくオフショット映像付きで、会場内結構泣いている方がいました。
休憩なし、あっという間の2時間でした。
また、会場前方には大きな桜の装花が。これは桜ライン311でもお世話になっている鈴木さんが、この日に満開になるようにタイミングを合わせてくれたもの。
そして、最後に桜の枝を一輪に切って、来場者にお渡ししていくという素敵なプレゼントもありました。
ちなみに昨日の講演で初公開したので、情報は幾らかすでに流出しているかもですが、現在あのさくの書籍化が進んでいます。あのさく君という最強にかわいいゆるキャラも控えておりますので、また各SNSなどで後日お知らせできればと思います。
二年で171回。
4日に1回ペースで
47県を回り続けていた生活。
その合間に仕事でアフリカ(2回)、バングラデシュなどにも行っているので、自分がなんでこんな生活できたのか不思議です。
「今からやれ」って言われたら1200%「無理です」って即答します笑。
そんな濃い二年。
やっぱり振り返ってみようと思っても無理でした。
結局この二年間を振り返ろうとすると、嬉しいことも悲しいこともそれはもう沢山あり過ぎて。お会いした人の数も数え切れやしないし、その分想い出も爆発してしまいそう。
ただ、一つ言えることは
「達成感が全くない」ということ。
結局「二年間上映しまくった」という事実は事実でしかなくて。
これから先、この映画で伝わったか伝わってないか分からない防災意識が、誰かの家庭で、誰かの街で、ちゃんと伝播していかなきゃ意味がない。
それで、いつかいざ災害が起きてしまった時に、「あの映画を観て、防災対策して、うちの家族助かったんですよ」なんて人が現れた時にこそ、僕にとって初めて、映画を上映しまくった意味になるのかと。
この映画の価値は、観てくださった2万人、その2万人から伝播された更に沢山の人たちによる今後の行動次第だって思っています。
二年間、あのさくを通して
出会ってくださった皆さま、
本当にお世話になりました。
僕1人ではもっと早い段階で
絶対に潰れてしまっていたはずです。
沢山の方のご協力やご視聴に
心から感謝いたします。
言葉にすると
軽薄になってしまいますが、
この感謝は間違いなく
僕の人生に一生残るものです。
ありがとうございました!!!