*小川光一出版情報*

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2017-06-27

『僕のランドスケープ』



 
 
こんにちは、光一です(`・ω・´)!
 
もう今年も半分が終わろうとしていますが、
皆さんご機嫌いかがでしょーか!
 
京都は6月にして暑過ぎです。夏が苦手過ぎて困ってます。もし僕がアイスクリームだったら、とっくに溶けてると思う。アイスクリームじゃないのでギリギリ大丈夫だけど……
 
 
 
 
仲間と切り盛りしていたインステの店内

  
 
つい最近、25歳の時の写真が出てきて、なんだか笑えました。何を格好付けているんだwww
 
 
でも、この頃みたいに青臭いことが言えなくなったなあと思う。年を重ねるってどういうことだろうって考えてたけど、まさにこういうことを言うのかもしれない(`・ω・´)
 
今日は、30歳を迎えて思うこと、
今までを振り返りつつ、
これからについて、
書き残しておきます。
 
 
 
 
 
まず、先日6月17日に鳥取県米子市にて講演して来ました!
鳥取県教育委員会さんからのご依頼による防災講演!
 
 
米子コンベンションセンター

 
初めての鳥取西部。米子や境港はずっと気になっていた街なので、降り立つことができて良かったです。東京から遠路はるばる僕の講演を聞きに来てくれた方もいたり、真剣に聞いてくださっていた方もいて。ご来場くださった皆さまありがとうございました!
 
いつかこの街でも、今までにないような大きな災害が起きてしまうとしたら、少しでもその被害が最小限に収まることを願っています。
 
僕は鳥取に対して願うことしかできないけど、鳥取の皆さまには、今からできることをしておいて欲しいなあと思います。
 
 
 
 
 
さて、今回は226回目?くらいの講演でした(`・ω・´)
 
今まで講演した日付と会場。スタッフや来場者。本当に洒落にならないくらい覚えています。これは講演して来た7年間の歳月でとにかくビックリされることの一つ。
 
どうしても、キャパが壊れて、漏れてしまう記憶もあるけど、例えば「日付を覚える」という行為は僕にとって、礼儀の一つになっています。
 
 
そんな「日付を覚える」。今回の鳥取講演は、6月17日でしたが、大体この前後には、記憶に強く残っている講演が集合する傾向があります。
 
例えば2011年6月18日は、オリンピックセンターに約600人が来場したカンボジアエイズドキュメンタリー『それでも運命にイエスという。』ラスト上映会。あの日を超えるクオリティのイベントには、6年経っても未だに出会えていません。
 
あとは、2014年6月19日に関西学院大学で行われた防災ドキュメンタリー『あの街に桜が咲けば』上映会とか。これは僕にとって100回目の講演でした。
 
 
そんな今回の6月17日も、
僕の記憶に強く残るものに。
 
だって、
今の自分にとって、
最後の講演。
 
 
 
今後何かしらの講演をする機会はあるかもしれないけど、少なくとも22歳から積み重ねてきた自分ではない状態なのは確実です。
 
 
もう『あの街に桜が咲けば』も『いつ大災害が起きても家族で生き延びる』もすっかり落ち着きを払っていて、講演依頼はこの鳥取が最後でした。
 
今後依頼が来るとしたら3月11日のタイミングなのかなと思いますが、僕はその時期に講演することが結構メンタル的に辛く、ここ数年はずっと耐えることに必死でした。今後は依頼を受けないつもりでいます。
 
  
「もう依頼は来ないだろう」「来てもニーズに僕のメンタルが答えられないだろう」という二つの理由と
 
後述しますが、「講演することや、今まで作って来たものに限界を感じるようになった」というのが、大きな理由になります。
 
 
 
 
 
まあ、なので、鳥取の講演。
 
過去200回以上の中でも最高級な講演をガツンとやりたかったんですけどね、見事にワースト20とかのスピーチになってしまいましたよ苦笑。
 
まあ、所詮まだ僕はこんなもんだ、と思いつつ、
不完全燃焼のまま、鳥取を去りました。
 
 
 
 
 
米子駅前の夕暮れ

 
 
 
 
気づけば30歳になった。
 
就職することを蹴って、
必死で走り続けた22歳から30歳。
 
約7年強の月日。
毎日必死に生きてたなあと思う。
 
 
22歳の時から7年間ウガンダの孤児院に通い、ホームスクールのメンテナンスを続けた。水も電気もない劣悪な山奥で、貧困や教育について毎日考えた。
 
23歳の時にカンボジアでエイズ問題を見つめるドキュメンタリー映画を作って、日本中で上映した。これから東北で上映というタイミングが3月11日だった。そのまま、NPOみんつなを作って、東北支援へ通った。
 
24歳~25歳は下北沢で国際協力カフェ『インステップライト』を経営した。東北や講演に通いながら、沢山の料理やお酒、イベントを作った。
 
時を同じくして、この頃はトータルテンボスさんと一緒に深夜番組に13回出演した。東北の現状、映画、エイズ、夏バテ、色んなことを伝えた。
 
26歳で桜ライン311事務局に加入して、東北に住み込み。映画製作を合間にして、『あの街に桜が咲けば』を完成させた。
 
26歳~28歳はあのさくでひたすら講演。47都道府県を4日に1日ペースでグルグル回り続けた。その合間に仕事でウガンダ2回、バングラデシュ1回行ってるから自分の体力や情熱が恐ろしかった。
 
28歳~29歳は1年間で3冊のノンフィクション本を出版した。
 
30歳は、小説を7月中に出版する。
 
 
省略してしまった活動もたくさんあって申し訳ないけど、簡単にはこんな感じ。
 
カフェ潰して苦しんだり、あのさく一回完成したやつが白紙になって苦しんだり、そういう挫折はたくさん味わってきたけど、こうやって振り返ってみると、何もなくてくすぶった年齢が不思議とないことに気づく。
 
 
でも、22歳の頃に、23歳で映画を作るなんて思ってもみなかったし、23歳の頃に、24歳でカフェを開業するなんて思ってもみなかったし、(以下省略 笑)、僕は、思い描いた景色を予定通りに進んでいるわけでは決してなくて。
 
想像以上の景観を見続けることができているのは、その時の縁を大切にしたことに他ならないし、必死でそういうチャンスを掴んできたってことなんだろうけど。
 
その景色たちを見つめ直して思うのは、僕はこのままで良いのか、ということ。
 
  
 
 
 
20代を終えて、
僕の中に残ったのは
「感謝」と「限界」でした。
 
 
ここまで未熟な僕が、色々なことができたのは、間違いなく今このブログを読んでくださっている人や、たくさんのチャンスをくれた人たちで。この感謝の気持ちはすごく強い。これからもずっと消えないと思います。
 
でも、それと同時に、「真面目なものを真面目に作ったところで無関心層には届かない」という限界を感じた7年でもありました。
 
 
 
例えば『それでも運命にイエスという。』の上映会に来てくれた人たちは、ほとんどが国際支援やカンボジア、エイズに関心がある人ばかりだった。
 
そういう人たちは、僕の映画が存在していなかったとしても、きっと何かしら探して、間違いなく勉強していたと思う。
 
『あの街に桜が咲けば』も同じ。学校とかで上映できたり、そういったものを除けば、やっぱり意識が高い人しか会場に来てくれないことばかりだった。
 
それが真理だった。
 
 
 
別に僕の作ってきたものを
自己否定しているわけではない。
 
僕の映画や本に触れて、
何か考えが変わった人は大勢いる事実もあって、
絶対に意味はあったと思う。
 
それは大前提の上で、
 
それじゃあさ、
 
 
 
「僕は届けるべき場所まで
メッセージを届けられているのか」
 
って自問自答したら、
 
 
「いや、届けられてないよねww
響きやすい人に響かせて、
満足してんじゃねえよ」
 
って返答が返ってくる。
 
 
 
 
 
ここでいう届けるべき場所は、
本当に激しい無関心層のこと。
 
ニュース番組なんて見ないし、
僕のやっていることを、
鼻から馬鹿馬鹿しく思うような層。
 
 
 
映画や写真を真面目に撮って、真面目に言葉にしても、激・無関心層にはびっくりするほど届かないという事実があった。
 
関心がある人たちが周りの激・無関心層に代わりに伝えようとしてくれることは希望だったけど、二次、三次となってくるとどうしてもメッセージ性の魂的な威力も落ちてしまうのは仕方がないことだった。
 
 
これは前々から気づいていたことだし、それでも意味があるって思ってたから、信じて続けてきたことで。
 
だから、今までの僕にしか歩けなかったであろう道のりを、誇りにも思っているわけで。
 
 
 
 
ただ、
僕は、遠回りしてでも、
この道を抜け出そうと思う。
 
真面目なことを真面目に伝えず、
絶対的な無関心層に強いメッセージを
届けることができる人になりたい。
 
 
しばらく時間はかかるかな。
 
 
 
毎年誕生日が来る度に「新しい活動を楽しみにしています」とか「躍動の一年にしてください」って言われるのに、嫌な気分も混じってしまうのは、
 
「休ませてよ」って気持ちと同時に、この「一旦今の道から外れさせて欲しいんだよ」って気持ちがずっとあったのかなと思う。
 
 
まあ、なので、
威力の鮮度を保つために
景観設計は明記できないけど、
 
だから僕は今、
小説を書きまくろうと思うのです。
 
遠回りしながら、
僕が20代で感じた限界を
ぶち壊すために、
また戻ってくるんです。
 
 
 
 
 
引き続き不安定な道なのは変わらない。
 
企業に勤めて、素敵な奥さんに支えられて、幸せな家庭を築いていく人たちが羨ましい時もあった。絶対的な寂しさに襲われる夜もあった。それでも、自分の道を信じる。そんな曖昧なものだけが、ずっと心の支えだった。
 
大切な先輩に「お前がやってることはつまらない」と言われたり、自分の信じた道が揺らいだ時もあった。それでも、頑張れと言ってくれる人がいた。僕の可能性を信じてくれる人がいた。
 
 
国際支援も東北支援も、
映画もカフェも講演も本も。
 
苦しかった分だけ全部、
今に繋がってる。
 
与えられた命や環境、
周りの人に感謝を忘れず。
 
 
 
これからも水面の下で、
がんばっていきますね。
 
 
 
 
 
 
以上です!!
 
長文読んでくださってありがとうございました(`・ω・´)!!
 
 

小川光一

 
 
 
 
 

 

 
 
 
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